織田廣喜の「下臼井の風景(旧作)」

嘉麻市立織田廣喜美術館ではコレクションの収集方針として、洋画家織田廣喜(1914~2012)の作品が柱となっており、所蔵品の半分を占める。300点以上保有している当館の織田作品で、もっとも古いのが「下臼井の風景(旧作)」である。

1932年、織田が18歳の時に描いた作品だ。織田がその年に上京するまで住んでいた碓井町(現嘉麻市)の風景を描いている。

この作品で特徴的なのは、サインである。織田のサインは「HIROKI ODA」と書かれているものが一般的だが、この作品はなぜか「H.orita」となっている。

私は学芸員になる前、織田廣喜美術館を初めて訪れた際にそのことに気が付いた。当館の常設展示室は時系列に沿って織田の作品を展示しているので、容易に気付くものであった。その上、サインが時代ごとで変わることは画家ではよくあることなので、私は割と注意して見ていることが多い。

ではオダなのか、オリタなのか。当館の所蔵品の中でもこの「H.orita」のサインは数少なく、織田作品をくまなく調べても、ほんの数点しか見つかっていない。41年に描かれた作品にもこのサインが使われているが、43年の作品ではもう「H.orita」のサインは使われていない。

戸籍に振り仮名まで振ってあることはまれであり、オダかオリタかどちらが正解なのかは分からなかった。

しかし、口伝が残っている。織田の兄が戦争に行った際に、上官から「織田はオリタではなくオダと読む」と言われたそうだ。その話を戦地から戻ってきた兄が織田家の人々に伝え、そこからオダと名乗ることになった。

そのことから、サインが変わったのは41~43年の間ではないかと推測されるが、それ以上の有力な情報は今のところ見つかっていない。

この「下臼井の風景(旧作)」にはもう一つ興味深い話がある。(旧作)となっている点だ。勘のいい方ならお気づきになるかもしれない。(旧作)があるなら(新作)もあるのではないかと。

この(旧作)は当館が織田本人から寄贈された作品であるが、実は織田自身も前の持ち主から譲り受けたものなのだ。描いた後にコレクターの手に渡り、自身の手元に戻ってきた(旧作)をモチーフにして(新作)を94年に描きあげ、こちらも当館に寄贈された。そして(新作)には「HIROKI ODA」のサインが入っている。

「下臼井の風景(旧作)」=1932年。油彩、画布、20号

「下臼井の風景(旧作)」=1932年。油彩、画布、20号

「下臼井の風景(新作)」=94年。油彩、画布、20号

「下臼井の風景(新作)」=94年。油彩、画布、20号

現在、当館で2枚の絵は展示しておらず、時系列の展示では新旧横並びで鑑賞してもらうことはできない。だが、今年の初めに田川市美術館で横並びで展示する機会があり、横に並べてみるとそっくりだった。

若き日の駆け出しだったころの織田廣喜と、画家として名をはせたころの織田廣喜。2枚の絵がその時間を紡いでくれているように私は感じる。=敬称略

(織田廣喜美術館・三戸丈治)

*西日本新聞朝刊 「美術館モノがたり 筑豊3館収蔵品から」平成28年6月11日(土)掲載分

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