織田廣喜の「田園風景」

青空へとよみがえる

美術館の中にある絵には、描かれた後にも物語を紡ぎ続けた作品がある。今回は絵画の修復でよみがえった織田廣喜の作品から、そんな物語を紹介しよう。

まずは作品をご覧いただきたい。画面を分断する地平線を境に上部には透き通るような青空。下部には右手前から左奥へと伸びる道。そして1軒の建屋が全て直線的な筆致で描かれ、全体的には寒々しさを感じさせる色調だと実際に作品を見れば感じるだろう。しかし筆者がこの作品を最初に見たときは、たそがれ時の作品だと感じずにはいられなかった。前所有者もそう思っていたのだから。

話は2005年まで戻すが、関東に住む女性から織田廣喜の作品を寄贈したいとの話をいただき、額に収まった状態の作品表面と裏面の写真が送られてきた。1953年に描かれたと記された作品は、写真で見ると手作りの不平行な長方形の板の上に全体をイエローオーカー(濃いやや赤みのある黄色)の絵の具で覆うように描かれた同時代の織田廣喜作品の特徴が整っていた。そして真贋(しんがん)を疑わせなかったのは、その絵がどうしてその女性の手元にあるかという物語を伺ってのことだった。

女性の語った話の概略はこうだ。作品を手に入れた当時、実家は吉祥寺(東京都)で質店を営んでおり、その店を画家の青年が度々利用していた。そしてある日、青年は質草ではなく、お世話になったお礼にと自身の描いた絵を置いていったという。青年は結婚直後に吉祥寺に近い上高井戸で暮らしていた織田廣喜のことである。

この作品が描かれた53年は織田が手作りの家で新婚生活を送り、長男も誕生。そんな暮らしぶりを写真家林忠彦が「画家の生活―織田廣喜・リラ夫妻」を写真雑誌に発表し、以後継続して撮影を始めたころ。女性から電話で話を伺いつつも頭のなかには映画のシーンのようなストーリーが勝手に流れ始めていた。

 

修復前の「田園風景」(部分)

修復前の「田園風景」(部分)

後日、かつて質店があった近くの喫茶店で女性と面会し、絵を額から外して非常に驚いた。額でカバーされていた箇所はイエローオーカーではなく青い色調だった。女性もずっとたそがれ時の風景だと記憶していたらしいが、実は織田が置いていったときは青空だった。そのことを伝えると彼女が記憶を拾い集めて語ったのは店主であった父親はヘビースモーカーであり、この絵はそんな父の頭上にガラスがない額に収められて飾られていたという事実だった。長年、父の吐いた紫煙のやにが青空を夕空に変えたのだった。

作品は後日寄贈いただき、翌年に修復家による画面付着したやに汚れの洗浄、保護用ニスの塗布という施術をしてよみがえった。織田がお礼にと持ち込んだ時の姿に。

今回紹介した「田園風景」は現在、当館常設展示室において昨年修復した2作品とともに公開している。一枚の絵が画家の手元を離れてからも続く物語。そんなことを想像しながらご覧いただきたい。

(織田廣喜美術館・有江俊哉)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

This blog is kept spam free by WP-SpamFree.