織田廣喜「月とボタ山」

楽しい祭りの雰囲気

月とボタ山(2005年油彩)

全国的には筑豊といえば、いまだに石炭産業のイメージが強いようです。さらに近年、山本作兵衛の絵の世界記憶遺産や、テレビドラマの影響もあり、ますます筑豊は石炭の町というイメージが広まっている感じがあります。そんな筑豊で生まれた近代日本洋画界の鬼才、織田廣喜(1914~2012)の作品を今回は紹介したいと思います。

嘉麻市千手地区の大力で生まれた織田廣喜。18歳で上京し、それ以降の活動の拠点は東京で、98歳で他界するまで東京に住んでいました。しかしながら、幼少期から青年期までは嘉麻市で過ごし、その記憶やふるさとへの思いが強い作家でもありました。彼がふるさとを描いた作品はいくつもあるのですが、その中でも晩年の2000年に描いた「月とボタ山」という作品が今回の主役です。

この「月とボタ山」と同じ年に描かれた「太陽とボタ山風景」という作品も当館に所蔵されています。この2枚を見比べてみると、興味深いことが分かります。題名を知らなければ一見、明るい色彩で描かれている「月とボタ山」の方が昼に見え、暗めの色を中心に描かれている「太陽とボタ山風景」の方が夜に見えます。しかしここに織田廣喜のイメージする炭鉱が隠されているのです。

昼の炭鉱は人々の生活を支える収入源であり、仕事場です。坑道内で多くの人が働き、地上から人が減ります。「太陽とボタ山風景」には子どもを背負い子守をする人や、良く見るとボタ拾いをしている人が描かれている程度で、少し物悲しい雰囲気を感じさせます。逆に、夜になると仕事を終え、宵越しの金は持たないという炭鉱労働者が、日銭を使い一日の労働が無事に終わったことを喜びます。「月とボタ山」には多くの人が描かれている上に、踊っている人など、どことなくお祭り騒ぎのような楽しい雰囲気に仕上がっています。

織田廣喜の記憶の中の炭鉱は、昼より夜がにぎやかなものだったのです。同じボタ山を題材にした作品ですが、夜と昼では見せる顔が違い、その記憶が鮮明に描かれているすてきな作品です。

そして「太陽とボタ山風景」には悲愴(ひそう)感が現れないように花など明るい色を点々と使い、逆に「月とボタ山」にはそのような配色はしていません。画面全体の構成にこだわりを持ち、常に退屈な絵にならないようにと考えていた織田らしい配慮も感じさせます。

そんな2作品は織田廣喜美術館で4月16日まで開催している「春のコレクション展2017 夜と昼~対比から見る絵の世界~」で展示されています。この機会に、記憶と長年の経験から生み出された織田廣喜のボタ山をご覧ください。

(織田廣喜美術館・三戸丈治)

月とボタ山(2005年油彩)

2017年3月4日土曜日 西日本新聞筑豊版朝刊 美術館モノがたり 掲載

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