ギター制作者 木村 信也さん(43)=飯塚市

依頼された音のイメージを求め繊細に調整する木村信也さん

眼もおよばぬ東京の、いはんかたなきはるけさおぼえ、ぎたる彈く、ぎたる彈く」と詠んだ詩人の萩原朔太郎同様、木村信也さんも高校生のころにギターを弾きながらはるか東京を思っていた。

中学校の文化祭で見たギター演奏は、木村少年の心をわしづかみにし、わずかな小遣いをアコースティックギターの購入に充てさせた。高校のころにはエレキギターに触れ演奏を楽しんだ。卒業後の進路に具体的なものが見いだせないでいた高校2年の冬、毎週楽しみに聴いていた深夜のギター講座番組で紹介された東京のギター制作工房の求人が導いてくれたのだった。

早速、ギター工房へ電話し、卒業と同時に工房に入りお盆以外は休みなく連日終電のころまで働いたが、過酷な修業は木村青年の心身を疲弊させていった。8カ月で工房を去るもふるさとへは戻らずにそのまま東京でウエーターなどのアルバイトで暮らす日々。そんな生活からの脱却をすべくあらためてギター制作の専門学校へ入学、卒業後は難関だった山口県のギター工房へ入社して6年間研さんを積んだ。

工房を構えるために郷里へ戻るが、音や塗装による臭気などが伴うために工房の条件が整う場所も見つからず奔走する木村さんに手を伸ばしてくれたのは、頴田町(現飯塚市)の建設会社社長である。自社の資材置き場を演劇家やバンドマンたちの芸術創作活動の場として開放していたコミュニティースペース「もぐら広場」の一角を工房として提供してくれたのだった。そこに集うバンドマンたちのギターを修理するなど関係を深めた。その交流が木村さんの仕事を広げてゆき2000年、現在の地に「木村ギター工房」を構える。

「W.V.ジャンボモデル」2001年 個人蔵

「W.V.ジャンボモデル」2001年 個人蔵

今では木村さんの元には北部九州各地からオリジナルのギター制作や修理の依頼が来るが、それ以上広域な依頼は断っている。依頼者と幾度も会ってイメージをくみ、完成後は手渡しで納品したいというのが理由だ。また工房には決まったオーダー票はなく、その代わりに顧客の数だけノートがある。依頼者と対話したデザイン、弾き心地などのイメージが言葉や図形で描きこまれているノートでいわば病院のカルテのようなものだ。決してデジタルな数値では表現できないイメージが書き込まれ、木村さん以外が開いても理解できないノートである。

また、木村さんの元にはギターの修理の依頼も多い。修理するギターは廉価なものから800万円以上までさまざまだが、価格に緊張することなく冷静に向き合うのだという。「私の手がけるギターが作品なのではなく、顧客が私のギターで作品を生んでいるのです。そんな顧客のこだわりのイメージをいかにくみ取り、シビアに具現化できるかを大切にしている」と語る木村さんに「ブルースは簡単に弾ける。だが、感じるのは難しい」という米国のミュージシャン、ジミ・ヘンドリックスの言葉を思い出した。

(織田廣喜美術館・有江俊哉)

木村ギター工房
〒820-1114
福岡県飯塚市口原290
電話09496-2-6775

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