林忠彦「表札を掲げた手作りの自宅」

画家の姿ありありと

「表札を掲げた手作りの自宅」(1954年)

手作りの表札と大作を搬出するために開けられた隙間。そこから上半身裸で出てくる男性。手前にいる女性は、洗濯物を干している途中だろうか。1954年の若き日の織田廣喜夫妻を捉えた写真である。撮影したのは、二科会写真部の創立会員であった林忠彦。

林は、18年に山口県周南市で祖父の代から続く写真館の長男として生まれた。営業写真を撮るだけでは飽き足らず、勘当された形で上京後、22歳で東京光芸社に入社し、内閣情報部主催の写真展に出展した作品が認められ、プロの写真家として活動を始めた。戦後の日本の文士、風景など多岐にわたる写真を撮影したことで知られている。その一方で、全国各地でアマチュア写真家の育成にも力を注ぎ、日本写真協会理事、日本報道写真連盟理事などに就任、日本の写真界に貢献したが、晩年は肝臓がんに侵され、72歳で死去した。

「うちにいる画家が自分で家を建てたんだ。それを撮ってみたら」。当時の二科会会長であった東郷青児の紹介で織田廣喜と出会ったのは、林が35歳のとき。林は、二科会写真部創設の打ち合わせのため、東郷宅によく出入りしていたが、織田は東郷の書生をしていた。黙々とよく働く4歳年上の無名の画家が描く絵に、林は不思議な魅力を感じたそうだ。

54年、制作の現場を撮影するために東京高井戸の織田の自宅を訪れた林は、電気もガスもない、絵を描くために造ったような手作りの家に暮らす織田に魅了されていく。この時撮影した写真「画家の生活―織田廣喜・リラ夫妻」を、「カメラ毎日」に発表。「そこには、いつも素晴らしい絵と、素晴らしい家族があった。この男は将来二科を背負って立つ男になると確信した」。以後三十数年、織田を撮り続け、2年に1度のペースで二科展に織田廣喜を撮影した写真を出品し、72年の第57回二科展に出品した「織田廣喜」で内閣総理大臣賞を受賞した。

20誌以上の雑誌に発表する売れっ子の写真家でありながら、自身の写真を撮り続け、二科展に出品してくれる林に対し、織田も制作意欲を刺激されたようで、ふさわしい絵を描かねば申し訳ないと努力を続けたそうだ。林の撮影した織田廣喜の写真をみれば、織田がどういった生活をして、どのように家族と接し、絵を描いていたかありありと分かる。織田やその家族も林に心を許し、ありのままをカメラの前にさらけ出しているようだ。

そこには、お互いの才能を認め合い、真剣に表現することに向き合った2人の男の生きざまが写っている。

織田廣喜(左)と林忠彦(1987年 沼田早苗さん撮影)

織田廣喜美術館の「春のコレクション展2018」では、写真家林忠彦の生誕100周年を記念し、当館収蔵の林忠彦の作品を織田廣喜の作品とともに展示する。会期は3月1日(木)~4月1日(日)。

(嘉麻市立織田廣喜美術館・藤嶋芳絵)

*西日本新聞朝刊 「美術館モノがたり 筑豊3館収蔵品から」平成30年2月24日(土)掲載分

 

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