画家 則松正年さん(68) =直方市

 

絵に専念できる喜び

あこがれの職業は絵描きだった。幼いころから絵を描くのが好きで、小学校低学年のころ、家族旅行の汽車の中で名も知らぬ絵描きから、絵の具箱の中を見せてもらったことをよく覚えている。

則松さんの青春時代は高度成長期真っただ中。高校は理系クラスで、友人たちは多くが理系の大学を選択。進学希望の則松さんに対して、父親も理系に進むことを当然のように考えていた。本当は美術系の大学に進みたかったが、明治生まれの頑固な父親のいる封建的な家庭で、そんなことを言い出せる雰囲気はみじんもなかった。とにかく直方の地から遠く離れた所に出ていきたいと思っていた。

進学したのは理系ではなく、中央大学法学部。入学後すぐに美術研究会に入り、絵を学んだ。描くことが楽しかった。ところが、当時は全国的に学生運動が激化した時代。美術研究会も絵を描くどころではなくなっていった。則松さんも学生運動に参加するようになり、各地で行われるデモに出かけた。4年目の卒業の年は、学生運動の混乱から卒業式は中止。卒業証書は郵送で受け取った。

卒業後は、投資信託会社に就職。給料はとても良かったが、休みらしい休みは取れず、残業続き。朝から晩まで働きづめの日々だった。何のために生きているのか見失いそうになった。働き始めたその年、会社を辞めて直方の家に戻った。「時間を採った。金銭は捨てた」若き日のこの決断は、振り返れば人生の大きな分かれ道だった。

翌年、地元の市役所に採用が決まった。しばらく遠ざかっていた絵は、画家の赤星月人氏や村島定児氏(いずれも故人)に学び、仕事と両立しながら続けた。多忙で長らく絵を描けない時期もあったものの、描くことをやめることはなかった。

作品の主な発表の場は、全国的な美術公募団体展の一つ、自由美術展。現在は同会の会員。線と面の組み合わせによる絵画を、これまで数多く発表してきた。

市役所を退職、その後の仕事も終わり、昨年の7月からようやく絵を描くことに専念できる環境が整った。子どもは皆独立し、奥さんとの二人暮らし。朝から晩まで絵のことを考える日々。寝ている間も絵のことが浮かんでくる。そんな生活に喜びを感じている。子どものころからの絵描きになりたいという夢が、遠回りして今ここにある。

ゆらぎのはじまり

ゆらぎのはじまり(2015年、作家蔵)

今年の自由美術展に出品した「ゆらぎのはじまり」は、人間や宇宙の起源、素粒子論など、則松さんの今の関心事から生まれた作品。「宇宙の時間からしたら人が生きている時間なんてほんの一瞬」という則松さんにとって、絵を描いている時間はその一瞬を自分らしく生きるための大事な時間なのかもしれない。

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11月25~29日、福岡市・天神の福岡県立美術館で開かれる「九州コンテンポラリーアート2015展」に新作を出品する予定。

(直方谷尾美術館・中込潤)

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