洋画家 側嶋眞智子さん(84)=田川市

出会った感動を表現

「光の画家」、そう呼ばれる印象派の画家クロード・モネ。彼がついのすみかとしたパリ郊外の村ジべルニーは、睡蓮や柳といった花木が生い茂る、モネの作品そのままの美しい土地である。田川にそんなジベルニーや、まばゆいばかりの自然溢れる風景を描く「光の画家」がいる。洋画家の側嶋眞智子さんだ。

側嶋さんの作品がただ1点、展示室に飾られるだけで、光源がひとつ増えたように錯覚するほどその場が明るくなる。みっしりと緑が描きこまれているにもかかわらず、全体から受ける印象は軽やかで心地よい。明るい色彩のグラデーションは、一見して側島さんの作と分かる独特なものだ。

「石に咲く」(1996年)田川市美術館蔵

「石に咲く」(1996年)田川市美術館蔵

さらに、一度描いた風景を何年にもかけて何度も描いていくことで、近作になるほど具体的な形から幻想的な表現・色彩へ移行しているように感じられる。色から発せられる光をうまく操る、さながら「光の魔術師」だ。

神奈川県横須賀市に住んでいた少女時代に、仕事で海外渡航の多い父を介して出合った芸術の世界。パリで旺盛に活動していた洋画家・関口俊吾さんの人物画に強く惹かれた。東京の女子美術大学へ進学後は、「女流画家協会」の創立メンバーである森田元子さんや桜井悦さんらに師事。在学途中で田川に嫁ぎ、いったん絵から離れるものの、30歳を前に自身の人生の楽しみのため、再び筆をとった。

子育てや家業の薬局の仕事をこなし、その合間に睡眠時間を限界まで削って制作してきたという側嶋さんの情熱は、自宅に所狭しと置かれた膨大な量の作品たちに見てとれる。これまで日展に6度入選、県展や示現会展でも活躍し、田川の洋画界を盛り上げ続けている。

画題が現在のような「光をまとった風景」になるまでは、何度かの変化があった。はじめは人物画を志すが、周囲からの勧めがあり、静物画を主に描くようになる。初期の作品は自分の心に引っかかった物事を、平面的で重厚なタッチで表現するもの。次第に色彩が豊かに、描きこむものの数が増えていく中で、風景との出会い、人との出会いが作風の変化を加速させる。

例えばそれはフランス旅行やスコットランド旅行であり、先輩画家や仲間たちからの「これを描いてみたらいいんじゃない」という言葉であった。

側嶋さんと話していると、画家にとって「何かと出会う」ことがどれほど重要かよく分かる。それは作風にも、画家としての生き方にも直結する要素であるということが。今までに出会った人との縁を大事につなぎ続け、風景と出会った時の感動を新鮮なまま記憶し表現し続けるその姿を見て、つくづくそう感じる。側嶋さんの作品は、これからより一層光を帯びて、きらめいていくだろう。

(田川市美術館・石井茜)

西日本新聞朝刊 「情熱の磁場」平成27年10月10日掲載分

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